2003年10月のぼやき
10月1日(水)
東海道新幹線の品川駅が開業した。渋谷や池袋、羽田空港あたりから新幹線へのアクセスも、これでずいぶん楽になるし、のぞみ号も(すべてではないが)停車するので、かなり便利な駅になりそうだ。
…で、開業当日の品川駅に行ってみた。今日は帝京高等看護学院での講義だったので、往きに新横浜経由で品川駅に出て、山手線に乗り換えて…という通勤経路を考えていたのだが、どうも最近「寝坊グセ」がついてしまったようで、今朝も寝坊してしまった次第。自宅からだと、新幹線を使わない(新横浜経由でない)ほうが帝京のある十条には早く到着するため、帰りに品川駅から新幹線に乗ることにした。
講義後、十条駅のみどりの窓口で乗車券と新幹線特急券を購入したが、「ここから品川まで行って、そこから新幹線経由で新横浜に出て、横浜線に乗り換えて東神奈川まで」という私の説明を窓口の職員が一度で理解出来ず、「要するに、ここからどこまでの切符が必要なんですか?」と言い換えされてしまう有様。
とりあえず無事に乗車券と特急券を手にし、埼京線で大崎へ。そこから山手線で品川へ出ると、いつもとはちょっと違った雰囲気が…。東海道線・横須賀線の乗り場近くに新幹線の切符うりばが作られており、さらに海側に進むと東海道新幹線の乗り場がある。照明の関係もあるが、かなり明るい雰囲気になっている。それに、何よりピカピカである! 学校帰りに新幹線ホームの入場券を買って入構している高校生、今日という日を待ちに待ったと思われる “鉄ちゃん” が多数!!! いつの時代も、(鉄ちゃんに限らず)駅のホームにはカメラでパチパチ…という人が多い。しかし、近年はデジカメ全盛のようで、ちょっとその点が21世紀的である。かくいう私も、10枚ほど撮影し、動画まで撮ってきた(ここにある写真をクリックすると、大きな写真を見ることができます)。
私が新幹線ホームに到着した時、こだま号がちょうど到着したのだが、のぞみ号も止まるということなので、新横浜停車ののぞみ号を待つことにした。のぞみ号というと700系の印象が強いが、私が乗ったのぞみ31号は500系だった。そして、品川から私と一緒に乗車した人のほとんどが新横浜で降りたのである!!!!! 私と同じような考えの人が、如何に多いか…ということである。
品川駅のホームで新幹線を待っている時、携帯電話がプルプルと…。今井医院の今井先生からだった。今日は夕飯を一緒に食べる約束になっていたので、その確認の電話。近所のレストランで…ということで話がまとまった。20時半、夕食会開始。海外旅行や講義のことなどで話が盛り上がる。
こんな一日もいいなぁ…と、久々に満足感をかみしめつつ、明るい「ぼやき」に終始した10月の初日である。今年もあと3ヶ月…。
10月2日(木)
今日も寝坊してしまった…。
とは言え、講義は3時限目の日本大学通信教育部からだったので、大して慌てはしなかったものの、洗顔中に来客があって…。私の所にキリスト教系の某団体の人がよく来るのだが、向こうは私に歓待されていると勘違いしているらしい。いつもこちらはまともに対応しないようにしているのだが、どうにも断る理由のない時に限って相手をしているのだが、それがいけないらしい。今日も急いでいるのに聖書をカバンから取り出そうとしているので、「今、急いでいるんです!」と言ってお引き取り願う。
3時限目は相変わらず人数が少ないものの、やる気のある学生だけが残っているので、雰囲気は悪くない。しかし、前期に “かなり” 重要視し協調した用語の意味を忘れている学生が多く、少々意気消沈状態。
法学部に移動する前、神保町に出て遅い昼食をとった。食欲は旺盛のようで、自分が健康であることを実感する。食事がウマイと感じるということは、(なぜだかわからないが)とても嬉しいことである。
法学部に、相互リンクしている「Say hello to Max Weber!」の管理人である茶有さんが遊びに来てくれた。茶有さんは大学時代に社会学を専攻し、来年4月から再び大学院で学徒の道に復帰されるのだが、私の奇妙きてれつな講義をどう受け止めたのだろう?
さぁ、明日の1コマで、今週の仕事が終わる…。
10月4日(土)
今日は日本大学の創立記念日。オール日本大学、休校である。しかし、今年は土曜日に日大をはじめ、どこの講義も入れていないので、体制に影響なしである。創立114年を迎える日大だが、100周年記念事業(1989年)の時は、記念式典に文理学部代表の一人として天皇陛下のお出迎え係を仰せつかったことがあった(その時は、すでに大学院生だったが…)。学生シンポジウムにもパネラーとして参加したし、100周年記念イベントは思い出深いものがあったなぁ…。
昨夜、いつもにも増して隣の住人が騒がしかった。友人を連れ込んでのどんちゃん騒ぎ…。私が法学部での講義を終えて帰宅した時、アパートの外まで喧騒が聞こえてきたほどである。時間とともに人数が増え、玄関をバタンバタン閉める音は常軌を逸していくばかり。階段をドタバタと駆け下りる様はすさまじく、私のストレス・スパイラル理論からすると「自分(たち)さえ良ければ」的発想の表れとも受け取れる。他の住人たちとの共存意識が皆無に等しい。
早寝しようと思っていたものの、なかなか寝られる環境にならないので、仕方がないので急ぎでない仕事に着手した。しかし、腹立たしさはますます募る。そこで、夜中の1時前、隣人の玄関が開く音がしたのと同時に私も玄関を開け、出てきた者をにらみつけた。しかし、誤算…出てきたのは客人だった。が、無言で玄関を閉めた私の行為が功を奏したようで、「あっ…」という客人の声とともに隣人たちの騒ぎは50%ほどOFFになった(100%でないところが情けない)。
よって、まともに就寝できたのが朝の5時前。11時半過ぎ、日本体育大学からの電話で目覚めるまで、ずっと爆睡していた(はずである)。
天気も良いし、家にいてもムシャクシャするので、こんな時は仕事も何もかもを忘れるために出かけたほうがいいだろうと思い、「えきねっと」で新幹線の予約を入れ、小旅行に出かけた次第。じっとしていないほうが、私には合っているのかもしれない。
10月6日(月)
天気予報では降雨確率がきわめて低かったハズなのに、日本大学三島キャンパスに到着してしばらくすると雨が…それも傘なしではちょっとしんどい降りようだった。
今年は、国際関係学部の2時限目(人間と社会)の教室が7号館になっていて…と言ったところで三島キャンパスに精通している人しかわからない記述になってしまうので簡単な説明をしなければ、私の真意も伝わり難くなるので、月曜日の私の仕事内容を説明しておこう。
三島駅から徒歩7〜8分で国際関係学部に到着し、正門で守衛さんにあいさつをし、その目の前にある13号館の2階の講師室で出勤簿に押印し、プリントを作成したりお茶などを飲みながら出番を待つのが、常である。2時限目の講義教室のある7号館というのは、13号館とはつながっていないので、一度外に出なければならないのだが、普通に歩いたら移動時間が5分はかかるような所にある。隣接する日本大学三島高校と7号館は連結していて、私の講義中に廊下で高校生が授業を盗み見しているのをよく見かける。また、三島キャンパスは緑が多くて良いのだが、逆に言うと視界が遮られやすく、キャンパスに慣れていないとすぐ道に迷ってしまうのである。いまだに、私も道を1本間違えて…ということがある。以前は夕方の授業も担当していたことがあり、5時限目(17:50終了)を担当していた時など、よく学生が階段を踏み外したり道を間違えたり、足下が暗いために水たまりに思い切りクツを突っ込んだり…ということを、私もよくやったものである。都心のキャンパスでは味わえない、何とも自然味あふれる光景で、私はそれはそれで好きなのであるが…。ちなみに、3時限目は13号館の3階なので、こちらは移動時間30秒程度である。
7号館には2教室あり、いずれも三島キャンパスで最大収容人数を誇る大教室である。私の2時限目の担当科目は1年生配当の教養科目なので、かなりの人数が履修登録する。そこで、大教室でないと対応できず、今年は7号館をあてがっていただいたわけであるが、13号館に隣接していないために移動に一苦労する。プリントを何種類も作成して教室に持って行く時など、木立を吹き抜けてきた風でプリントが折れ曲がらないよう体の位置や角度を変えたり、時々立ち止まって風をやり過ごしたりしながら教室に向かわなくてはならないのである。そして今日は雨…。まぁ、講師室に私の置き傘があるので、それを使ってNo Problemで済んだのだから、そんなに力入れてぼやく必要もないか…。
仕事後、静岡県内でも大手の部類に入る書店で本を2冊購入した。1冊は韓国の民族意識について述べられたもの、もう1冊は「静岡おでん」(この場合、「静岡」と書いて「しぞーか」と読むのが正しい!)の本である。静岡と言えば…と聞かれても私は静岡県民でもないし、あまりヘンなことを言っても支障がありそうなのだが、かねてから「おでん」に強い印象を私は持っていた。10年ほど前に静岡で行われた社会学の学会に参加した時、宿泊したホテルのフロントで「何か、静岡らしいものを食べたいのですが…」と聞いたら、「それなら、“おでん” なんてどうです?」と言われ、おでん屋さんがずら〜っと並んだ所を紹介してもらったことがあった。それがどこだったかしばらく思い出せないでいたのだが、最近になって、それが静岡駅から歩いて10分ほどの所にある青葉通りの「おでん横丁」であることがわかった。そんなこともあって、静岡おでんには何となく愛着がある。静岡っ子に「はんぺんって何色?」と聞くと、まず間違いなく「黒!」と答えが返ってくる。静岡ではんぺんと言えば「黒はんぺん」のことである。白いはんぺんしか見たことのない我々にしてみると、「はんぺんが黒いなんて変だ!」と言いたくなるところなのだが、静岡っ子たちは子供の頃から黒いはんぺんを当たり前のように見てきてくるものだから、白いはんぺんのほうに違和感を覚える静岡っ子も結構いる。実際、黒はんぺんを数回食したことがある。ある時はおでんネタ、ある時はフライで、ある時は「刺身」で…と、いろいろなバリエーションで試したが、どれも美味だった。一度、お試しあれ!
明日から日本体育大学の今年度初出講! 日本体育大学で講義を担当して今年で6年目であるが、明日出講するのは世田谷キャンパス…今まで横浜健志台キャンパスでしか講義を担当したことがないものだから、どこにどの教室があるのかなどという情報がまったくわからない有様。社会科学研究室助手の北野さんに案内していただく約束をした。世田谷キャンパスには一度だけ行ったことがあるが、それは平成10年3月のこと。就任あいさつに行っただけなので、記憶はほとんど薄れているし…。あぁ、明日はどんなことが起こるのやら!?
10月7日(火)
日本体育大学の出講初日である。が、今年から日本体育大学には週2日(5コマ担当)出講することになっている。日本体育大学への出講は今年で6年目であるが、今年から今までの横浜健志台キャンパスに加えて世田谷キャンパスへの出講が加わった。世田谷で講義を担当するのは今回が初めてなので、キャンパスへのアクセスも構内の様子もほとんどわからない状態であった。今日はまさに世田谷キャンパスへの出講日…。
反町から東急東横線の各停に乗り、菊名で特急に乗り換えて自由が丘に出て、そこから東急大井町線に乗り換えて等々力に出た。大学1年生から3年生まで、等々力でアルバイトをしていたことがあるので駅前の地理には詳しいつもりであったが、時代が流れて駅前も開発が進み、私の記憶の一部が現実と異なることを知る。
等々力からバスで日体大前に向かったので道に迷うことはなかったが、構内の様子がチンプンカンプン…。社会科学研究室助手の北野さんに電話して、本館玄関まで迎えに来てもらうことにした。今日は講義教室へも北野さんが案内してくださったので、不要な不安を感じることはなかった。
今年から、火曜日の2時限目と4時限目に「総合科目B」という4年次配当科目を担当することになったのだが、2時限目に集まった50名弱の学生の半数が、かつて私の「社会学」を履修した経験者であったため、お互いのスタンスを理解しながら友好的に(?)初回の講義を行うことが出来た。問題は4時限目である。ここに集まった60名弱は全員が初対面。早速、私をナメてかかる学生が数名出た。
人間が刃を相手に向けた時は、自分も死ぬ覚悟を決めていなくてはならないという。ところが、最近は相手に刃を向けても自分に死の覚悟のない者が多い。次々に相手を傷つけているのにもかかわらず、いざ自分が攻め込まれると「許してくれ!」と懇願する。学生が私をナメてかかるのは自由かもしれないが、そうやって私に刃を向けた以上、後の覚悟を決めてもらわなくてはならない。しかし、講義期間中ずっとふざけた態度をとって不合格となった学生が、「先生、もう一度チャンスをください」と言ってくることが多々ある。「総合科目B」は4年次配当であるから、当然「卒業」に関わってくる。ナメてかかった人間に頭を下げるということはどういうことなのか、自分の置かれている立場を理解できない学生が多いのは悩みの種である。
日体大での講義を終えてすぐ、桜新町へバスで移動し、東急田園都市線とJR埼京線を乗り継いで十条に出た。日体大の講義だけで今日のノルマをクリアしたわけではないのだ! いつものように、帝京大学福祉保育専門学校での講義が待ちかまえている…。こちらは、いつものように当たり障りなく(?)話をして、いつものように終了した。
大学の教員になって、今年で10年目…。最近、講義がまとまらなくて、自分自身にいらついているような状態である。仕事の集中しつつも、明日の自分、来週の自分、来月の自分、来年の自分がどうなっているのか考えると、かなり不安になる。来年も今と同じように仕事をすることが出来るのだろうか、自分は本当に必要とされているのだろうか、来年の自分の立場は…などと考えると、冷静になれない。もしかすると、いくつかの講座を誰かに引き渡すことになるかもしれない…現在担当している講座が閉講となるかもしれない…と、そう考えてしまうと、落ち着くことができなくなる。今から数年前、自分の置かれている状況をうまく整理しきれなくなり、そのことを医師に相談すると、精神安定剤の服用を勧められた。私の同僚や門下生にも同様の体験をした者が多数いるのだが、あの苦しさ、副作用のつらさは、体験した者でなければ理解できない。私を含め、多くの知り合いに共通した副作用として、「体が重く感じる」「朝、起きられなくなる」といったことがあるが、実際私はそれで大ポカをやらかして周囲の方々にえらく迷惑をかけてしまったことがある。幸いにして、一筋の希望の光が差し込んだ時に服用を止めることに成功したが、今の私の精神状態は、あの時よりもずっとずっと混乱している。ただ、もう薬に頼るのは嫌なので、体がどこまで持つのか、その持久力との闘いとなっている。自分の確かなスペースが確保できずにこの仕事をして10年目…。
10月8日(水)
今年度の日本大学医学部附属看護専門学校は、水曜日1時限目に出講希望を出していた。しかし、9月中は夏休み前からの授業が継続中という理由で “不定期” 出講となっていた。今日からいよいよ希望通りの出講シフトになるのだが…。実は、次回は11月12日…つまり、1ヶ月以上も出講予定がないのである。今日の授業は実験演習、レポート提出まで1ヶ月強。何だかなぁ…。
11時前に日大病院からバスで板橋本町に出て、そこから石神井側のほとりを歩いて帝京高等看護学院を目指す。いよいよ今日から『ストレス・スパイラル』を使用しての講義である。しかし、よく見ると、テキストを持っていない学生がちらほら…。今まで使用していなかったものだから、きっと今日も使用しないと思い込んでいたのだろう。「思い込み」は看護職には禁物だと、毎回のように話しているのに…。
でも、このところ水曜日の講義は学生に助けられているような気がして、ホッとする。ただ、講義を終えるまで食欲も出ない曜日でもある。
10月9日(木)
とある占いによると、今日の吉色は「朱」だという。朱色っぽいネクタイを締めて日大への講義に出かけたが、吉色が気になってしまい、横浜からJRではなく京浜急行の快特・泉岳寺行きに乗り、都営浅草線と三田線を乗り継いで神保町へ出ることにした。京浜急行は朱色と言うよりも「赤」そのものなのだが(ついでに言えば、白いストライプが入っている)、気は心ということで…。
通信教育部(3時限目)の講義を終えた後、神保町に出た。明日は父の70回目の誕生日。要するに父は古希を迎えるのである。ちょっと奮発したプレゼントを…考え、神保町の三省堂書店文具売り場へ。そこで気の利いた(と私が勝手に思っている)ものを見つけ、迷わず購入。神田南神保町郵便局から実家へ郵送する。
「そう言えば、昼御飯を食べてなかったなぁ…」ということに気づき、帝京大学の佐藤光宣先生に以前教えていただいたラーメン屋さん「伊峡」を探した。その店は、神保町の裏路地(?)にあった。値段は安く、ボリュームもある。腹一杯食べたい時にはお奨め…。
そうこうしているうちに、15時半を過ぎていた。急いで法学部に向かい、プリントを印刷する。今日明日の3コマ分、それも3種類…来るか来ないかわからない学生の分まで印刷するので、枚数は360枚にものぼる。
それにしても、履修登録だけして受講記録のない学生はどこの大学にもいるものだが、一体何を考えているんだろう…。
帰りも京浜急行に乗るために、通常とは別ルートで帰途につく。あまり占いを信じることはないが、今日はどういうわけか(自分でもわからないのだが)「朱」や「赤」にこだわった一日だった。
今日に限ったことではないのだが、某テレビ局で毎週放映されている番組で、「これがヤラセでなかったら、出演者はみんな非人道的だ!」と思えるものがある。カップルが出演して、訳のわからない状況報告があって、「実は元カレ(カノ)のことが今も好き」だとか「恋人の友達とただならぬ関係になった」とか、よくもまぁテレビでこんなことを言えたもんだ…と呆れてしまう低俗な番組なのだが、視聴率もそこそこらしい。日本人の倫理観低下に拍車をかけないか、この番組…。今日、テレビをつけっぱなしにしていたらその番組が映し出され、無性に腹が立った次第。頭が痛い…。
10月10日(金)
いよいよ “この日” が来てしまった…。今日から日体大の横浜健志台キャンパス出講再開である。が、何も講義が嫌だというわけではない。週末の疲労のたまりつつある金曜日に、日体大と日大法学部をかけ持ちすることが大変なのである。貧乏暇なしなのでやむを得ないのだが、それにしても横浜市青葉区の日体大から千代田区三崎町の法学部への移動はキツイ。日体大の担当時間は1・3・4時限目。もし16:10までちゃんと講義をすると、次の法学部の講義開始までの1時間50分の間で移動を完結しなくてはならない…ということになる。講義を終えてすぐに移動できるわけではないから、大学を出るのは16:20頃となるだろうし、バスが青葉台駅に到着するのに15分以上かかる…すると、ますます時間に追われることになるわけで…さらに、講義開始時間よりも前に到着していなければ準備も出来ないので、その時間の確保も必要となると、ますます時間に追われてしまう。今日は初講だったので3コマとも50分程度のガイダンスをするだけで済んだので、予想以上に早く法学部入りすることが出来たのだが、来週からはどうだろう?
法学部の講義を終えて、ふと、明治大学近くにある洋食屋さんへ久々に行ってみたくなった。「カロリー」という洋食屋さんに以前(偶然に)入店し、値段の安さとボリュームの多さに感激したことがあり、その記憶がなぜか蘇ってきたのである。今夜の私は、ボリュームに飢えていた。そう言えば、青葉台から東急田園都市線(営団半蔵門線乗り入れ)に乗り込んでからすぐに意識がなくなり、気が付いたら九段下…つまり下車予定の神保町の1つ手前で意識が戻るまで、爆睡状態だったのである。だからきっと、栄養とボリュームのあるものを食べて疲労回復したいと自然に思ったのだろう。
帰宅してすぐ、父から電話が入った。どうやら昨日郵送したプレゼントが無事に届いたらしい。ちなみに、送ったものは革製のシステム手帳である。古希の祝いにふさわしいかどうかはわからないが…。
あぁ、それにしても心身共に疲労困憊。ゆっくり休みたいものだ!
10月13日(祝)
「体育の日」である。しかし、昨年もぼやいた通り、私はこういう「体育の日」に違和感を覚えてならない。「10月10日」にこそ本来の祝日制定の目的があるのだから、あえて「体育の日」をハッピーマンデーにする必要はないし、おかしなことだと思われる。
加えて、今日は本来なら日本大学国際関係学部の出講日。学生たちは喜ぶかもしれないが、私としては休日と進行具合を調整しながら講義をしなくてはならないので(ただ講義をすればよいということではなく、学生の理解・記憶の能力とテーマの区切りを考えながら講義する必要があるので)、ここ数年ちょっと月曜日の講義は体力と気力の勝負になりつつある。
そして、、私の性格上、休日でもゆっくり家で落ち着こうとしないところがある。「落ち着けない」事情と「落ち着きたくない」事情があり、なかなか苦しいところである。詳細を述べることは避けるが、精神的な圧迫を避けるためには落ち着いてはいけないような気がする…。
3連休中、虹を見た。きれいなアーチを描いた、大きな虹だった。虹にはいろいろなメルヘンがあるようで、自然と心がウキウキする。その虹はバスに乗っている最中に見つけたのだが、降りる予定だったバス停の1つ手前でバスを降り、急いでデジカメをバッグから取り出した。そして、ゆっくりシャッターを切った。虹を見るのはかなり久しぶりだったので、何だかとても得した気分になった。
虹を見たかと思えば大雨に強風にも見舞われ、首都圏のJRは遅延や運転見合わせで混乱し、建物も冠水だの破損だのと自然の猛威を思い知った次第。
明日からまた、気持ちも新たに仕事しなければ…。
10月14日(火)
今日も日本体育大学と帝京大学福祉保育専門学校のかけ持ちの日である。朝、時間的にかなり余裕を持って自宅を出たつもりだったが、等々力駅で待てど暮らせどバスが来ず、日体大に到着したのは講義の始まる25分前であった。
2時限目のクラスは、相変わらず学生が協力的な対応をしてくれている。問題なく「問題行動」の話をし、社会科学研究室へ戻る。先週に引き続き、助手の北野さんと昼食に出る。今日は北野さんお気に入りのパスタの店に行ったが、なかなか雰囲気も味も良く、ちょっとセレブな(?)昼下がりを過ごした。4時限目の教室に北野さんと入ってビックリ! 履修登録68名、先週の出席者数50名強という状態が一変、出席者数28名という具合に激減したのである。おそらく、先週の私の嫌味攻撃に耐えられなくなった学生がさぼり始めたか、あるいは別講座に移ったかで人数が淘汰されたようである。こちらとしては、ヤル気のない(ただ雰囲気を乱すだけの)学生には教室にいて欲しくないという気持ちもあるので、量より質でヤル気みなぎる学生を相手にしているほうが自分自身も盛り上がるし、精神衛生上もよろしかったりする。結果、今日の講義は先週のものとはまったく雰囲気の違う、ある程度は穏やかなものになり、学生のほうもビックリしたことだろう。私にヤル気を見せて残ってくれた学生だ。何とかその気持ちに答えてあげたい。
講義を終えて、社会科学研究室でコーヒーをごちそうになった後、バス停へ向かう。桜新町駅までバスで出て…と思ったのだが、信号待ちをしている間にバスが走り出してしまったのを見た。次のバスまで、雨が降る中を15分以上も待つことになるため、歩いて桜新町へ向かうことにした。日体大の大半の学生は、桜新町へ歩いて帰っている。それが普通であると言わんばかりに…。私が初めて日体大を訪ねた時、やはり桜新町から歩いたものだった。バス代も節約できるし…ということで傘をさして歩いてみた。15分ちょっとで桜新町へ到着。ちょっと得したような気がした。
福祉保育に到着したのが17:20過ぎ。急いで授業の準備に取りかかるが、先週のうちに企画は立ててあるので、大して慌てずに済んだ。だが、20代の頃にはさして苦にならなかったかけ持ちが、最近ちょっとつらく感じてきたのは気のせいだろうか?
帰宅して、日本女子大学の中村博志先生からメールで送られてきたデータファイルに目を通す。明日は「死を通して生を考える教育」研究班会議である。そのデータを見やすいように単純集計し(一部クロス集計をかけておいたが)、プリントアウトしてみた。なかなか興味深いデータが出てきたようである。明日の会議で、今後の進め方が決まると良いのだが…。
10月15日(水)
昨夜、メールで送られてきたデータファイルの基礎的な分析は、結局朝の4時過ぎまでかかってしまった。それから少し寝て…と思っていたら、起床予定時間をオーバーしてしまった。急いで身支度を調え、京浜急行に飛び乗り、予定通り10:56横浜発の湘南新宿ラインに乗り込んだ。
今日の帝京高等看護学院の講義は同じクラスで2コマ連続講義だった。せっかくの連続コマなので、統一テーマを考えて学生にぶつけてみた。テーマは「問題行動」。しかし、その問題行動を実践する愚かな学生が数名出たので、久々に吠えてみた。他人にされてイヤなことをしているような、そんな共感性の欠如した学生が最近多すぎる。そして、自覚・知識・常識の欠如していることに気付かない学生も多い。自分のしていることがどれだけ相手を困らせているのか、不愉快な思いをさせているのか、まったくと言って良いほど考えずに行動するあたり、もう手に負えないものがある。そのくせ、注意される原因が自分にあるのにもかかわらず、注意を与えた私を逆恨みする(逆ギレする)者が多い。それに、謝り方を知らない。「先生、ごめんなさい」と謝りに来る学生がいるが、誰も言葉の使い方(選び方)を教えなかったのだろうか? 小学校や中学校、高校の教員は何の注意も与えなかったのだろう。親もたいした躾もせず、子供の素行の悪さを教育や世間のせいにしたがるのだろう。
件の学生も、「先生、ごめんなさい」派だった。おまけに、謝罪よりも友達との会話のほうが重要だったらしい。腹立たしいこと、この上なし!
この先の日本に、かなりの不安を覚える次第。
夕方、日本女子大学へ出向き、昨夜のデータの分析報告をする。相も変わらず興味深いデータが集まっている。なお、我々学者が「興味深いデータ」という場合、そこには多分の皮肉が含まれていることをお忘れなく!
「クイズ ヘキサゴン」と「トリビアの泉」の留守録をセットし忘れた。いつも楽しみにしている番組だけに、ちょっと寂しい…。
10月16日(木)
今月に入ってから週17コマ担当というハードスケジュールに戻ってしまい、通院もままならない状態である。胃腸科の今井医院の場合は土曜日も診察日になっているので何とかなるのだが、問題は吉田整形外科…。腰痛は深刻な問題なのに、なかなか通院がかなわない。土曜日は休診日のため、平日に何とか時間を作るしかない。
水曜日と木曜日は午前中に時間がとれるのだが、昨日は帝京高等看護学院の講義前の印刷物が仕上がっていなかったため、出講を優先した。今日こそは…と思っていたのだが…、思いっきり寝坊してしまったのである!? 10時に起きて、10時半過ぎに出掛ければ、ゆっくり腰部牽引も受けられるし、薬局にも余裕で寄れると思っていたのだが、目覚めたのが10時半! 急いで身仕度を調えたのだが、それでも家を出られたのが11:10過ぎ…。吉田整形外科に到着したのが11時半。仕方がないので、処方箋だけ出してもらうことにした。
急いで日本大学通信教育部へ向かい、到着したのが12:40。講師室に駆け込むと、そこに見覚えのある顔が…。通信教育部神奈川県学友会の会合でお目にかかったKobinさんと久々の再会。そのままKobinさんはすうさんとともに私の「社会学」の聴講モード。
講義後、遅い昼食をとりにジョナサンに入る。どうもここ数年、カキフライに目がなくなって、今日も「新メニューです!」と店員さんからカキづくしのメニューを受け取るや否や、「カキフライを和風セットで!」とためらいもなく注文を出す。カキフライが730円(税別)、和風セットは280円(税別)、合わせて1010円(税別)となるのだが、私はジョナサンの食事券を持っているので、会計時にこれを使おうと思い立つ。税別で1010円ということは、消費税込みで1060円…。500円券を2枚出して60円プラスすれば会計が済むと思っていたのだが、「食事券を1000円分お預かりいたしましたので、10円いただきます!」とのこと。要するに、食事券を出すと、その分がチャラ(?)になり、残分に対して消費税計算をすることになるのだという。つまり、1010円のうち1000円がチャラになり、残り10円に消費税がかかるということなのだが、10円に消費税を計算しても10円…で、私は現金で10円払っただけでカキフライを食すことが出来たということになった。予期せぬことだったので、何だか得した気分だった。
気分を良くして法学部へ向かい、そのままのノリで2コマこなし、気分良く帰途に就いた。このノリが明日も続くと良いなぁ…。
10月17日(金)
今週の頭に新しい目覚まし時計を購入したのだが、それをきっかけに寝坊が続く。まぁ、寝坊と言ってもほんの数十分程度のものなのだが、それでも寝坊は寝坊…。
今日の日本体育大学3コマと日本大学法学部1コマで今週の仕事は終わったが、何だか気分的に晴れない。別に、講義がうまくいっていないわけではない(「うまくいっている」とも言えないが…)。最近の学生は、今まで自分がしてきたことを誰からも注意された経験がないので、それが正しいと思って行動しているフシがあるが、誠意を持って注意をすれば7割程度の学生は理解を示してくれるから、特にストレスを感じることもない。
ストレスと言えば、日本体育大学での今月の講義回数を間違えてカウントしており、予定がずれてしまったことくらい。学生には事情を話し、ゆっくり足踏みしながら11月を迎えることで合意したが…。
ほぼ毎日、かけ持ちと移動の連続で、腰痛と座骨神経痛が復活してしまった。今日の日本体育大学から法学部への移動、法学部からの帰途は、地獄図絵の如くだった。もう若くないということを実感しつつ、体が持つのかどうかの不安が募る…。講義をたくさん依頼されるのは大変ありがたいことなのだが、倒れてしまっては話にならない。気分的に晴れないのは、これが理由なのかもしれない。
最近、毎日毎日、キチンと「責任」を果たせるかどうかの不安に苛まれているのと同時に、「量より質」の講義ができないものかと切望している自分がいる。大学院博士後期課程を満期で出てから10年目の今年、いろいろと思い悩むことが多くなってきた。
『ストレス・スパイラル』補強版の原稿も仕上がっているし、しばらく講義に集中して「研究」をストップしてみることで気分転換を図ろうと思うのだが、どうだろう…?
夜、フジテレビの「フジ子。ヘミングの軌跡」を見た。久々に出来の良いドラマを見たような気がする。ちょっと前からフジ子・ヘミングという名は聞いていたが、ここまで壮絶な人生を送られた方とは知らなかった。私の苦労なんて彼女の人生に比べたら…などと思いつつも、やはり自分の日常が気になってしまうのであった。
10月20日(月)
どうも週末は体調が思わしくなくて、ほとんどパソコンに向かわない生活だった。
が、17日の深夜、就寝前に北海道テレビ(HTB)の「水曜どうでしょう」のホームページにアクセスしてみたところ、何と11月5日(水)に出演者(鈴井貴之、大泉洋)とディレクター(藤村忠寿、嬉野雅道)の4名が東京でトークショーを開くという情報を見てしまった!? そして、そのチケット発売が10月18日(土)12時よりとある。発売は、全国のローソンにあるロッピーでのみということだったので、「これは、何としても明日はローソンに行かなくては…」と決意してフトンに入った。翌日、目覚めると11:10…慌てて飛び起き、ローソンへ向かう。いつもは東神奈川駅前のローソンを利用するのだが、駅前は競争率が激しくなるであろうことを予想し、あえてふだん行かない国道15号線沿いのローソンを選ぶ。11時半、ローソンに到着。念のため、ロッピーにLコードを入力してみるが、「12時より受け付け」という表示が出て先に進めない。雑誌を読みつつ時間を潰すが、来る客すべてがライバルのように思えて気が気でない。11:58、満を持してロッピーを占拠する。11:59、Lコードの入力開始。正午、アクセス! しかし、「12時より受け付け」の表示が消えていない。「戻る」を押して、もう一度アクセス。次の画面が出てきた。枚数を指定し、名前を入力。ドキドキしながら結果待ち…。予約完了! やったぁ〜っ! レジでチケットと引き替える。どうやら前から8列目あたりらしい。「水曜どうでしょう」の掲示板に、チケットが取れたことをカキコする。
あとで判明したことなのだが、このトークショーのチケットは、ものの2〜3分で完売してしまったとのこと。かなりのプラチナチケットだったようで、掲示板にもチケットの取れなかった悔しさを全国のファンがカキコしているのが目立った。中には、12時半ぐらいにいっても大丈夫だろうと高をくくっていたファンの嘆きなどもあり、「水曜どうでしょう」の人気の高さと、北海道を遠く離れた東京でのトークショーであるのにもかかわらず全国のファンがローソンに集結していた事実を目の当たりにし、この番組のすごさを思い知る。全国には暇人が多いのだなぁ…と思いつつも、私もその一人であることを思い出す。11月5日は「水曜どうでしょう」第3弾DVDの発売日でもあり、この日が選ばれたようである。
以前、高校の教員を辞する私に、先輩教諭が「(日本大学)国際関係学部へは、どうやって通勤するのか?」と聞いてこられたことがあった。私が「横浜から新幹線で通勤します」と答えると、「それはいい! 新幹線は “人間の乗り物” だからな」との返答…。最近、この言葉の意味がわかるような気がしてきた。今日は、新幹線に3回乗った。最初は三島へ向けて。次は三島から静岡へ向けて。そして最後に静岡から新横浜まで…。腰痛と座骨神経痛を悪化させないために、そして今日が某出講先の給料日でもあることも手伝い、そういう移動手段を選んだのである。静岡へ向かったのは、以前から欲しかったDバッグ(調査旅行の時に重宝するので)を買いにいくためと、お気に入りの店でくつろぐためだった。気分的に滅入っているので、こういう時は気分転換が大事だということである。
JRの宣伝をするわけではないが、新幹線の車内はゆったりしている上、ちょっと走ってすぐ停車…ということもないので、落ち着いて仕事の準備も出来るし、慌てないで済む。特急料金はかかるものの、ここで無理して体をこわして仕事が出来なくなるくらいだったら、これぐらいのラグジュアリーも必要かと思う。
明日はかけ持ちの日…。まだまだ頑張らないと…。
10月21日(火)
今朝もなかなか起きられなかった…。予定よりも30分以上も余計にフトンの中で過ごしてしまった。
起きて身仕度を調え、反町駅へ向かう。東横線の各停で自由が丘に出て、大井町線で等々力へ。先週と同じ時間に等々力入りする。が、バスのダイヤが少々乱れていたらしく、すぐにバスが来る。
日本体育大学へはちょっと余裕を持って到着したが、講義をどこまで進めるのかを決めかねていたため、今日配布するプリントとにらめっこしながら、社会科学研究室で講義の計画を練る。しかし、2時限目も4時限目も学生の協力の賜物か、順調に講義が進む。朝まで計画が練られていなかったのが嘘のようである。ただ、「問題行動」を説明するのに「るろうに剣心」のRPGネタでおおいに盛り上がってしまったのは予定外。
今日の昼食は、アジアンテイストいっぱいの店でチキンカレーセットを頼んだ。社会科学研究室の北野さんが毎週違ったお店を案内してくださるので、日本体育大学世田谷キャンパスへの出講時は、昼食も楽しみの一つになっている。
日体大での講義後、バスで桜新町に出て東急田園都市線に乗り込んだが、どうも渋谷からJRに乗り換える気力がなくなっていて、そのまま営団半蔵門線直通で神保町へ出た。そこで都営三田線に乗り換えて板橋区役所に出て、徒歩で帝京大学福祉保育専門学校に向かった。秋が深まりつつあるようで、日の暮れるのがずいぶんと早くなった。板橋の商店街を歩きながら、買い物の親子の行き交う姿を見つつつ、ほのぼのとした気分にさせられる。疲れが一気に抜けていったような気がした。
福祉保育での2コマは、彼らが来週の土曜日に絵画・音楽研究発表会を控えていることもあり、学生にイメージ操作の実験をしてもらった。うまくいったようないかなかったような、そんな中途半端な結果になってしまったが、学生たちに私の気持ちは伝わったとは思う。
今日のすべての仕事が終わった後、毎週火曜日の仕事後の楽しみである(?)夕食をとりに、東十条へ向かった。以前から火曜日の夕食をとる店は決まっていて、そこで日替わり定食を食べるのが楽しみなのだが、こうやって今日の自分の行いを振り返ってみると、食事ばかり楽しみにしていたような…!?
10月22日(水)
「自分のスタイルを貫く」ということがどういうことなのか、わからない学生が多々いて閉口することが多い。「自分のスタイル」を私も貫いているが、それはある程度の常識を知った上で、それを逸脱しない努力をしつつ、自分のカラー(オリジナリティ)を出すという作業であるが、私が閉口するのは「オリジナリティ」と「非常識」をはき違えている学生である。
その学生が医療系の学校の学生だった場合、その「オリジナリティ」で臨地実習に出て患者さんを不愉快にさせてしまうかもしれないし、痛い目に遭うかもしれない。そういう心配があったのでその学生の学年を監督する教員に相談してみたところ、「それがその学生のスタイルですし、まだ反抗期的なところもあるみたいで、我々も講義や演習で注意はしているんですが…まぁ、学生も先生に反抗しているんだと思いますよ!」と、取りようによっては学生の行動を容認しているかのような、そんな言葉を受け取った。
話はガラリと変わって…仕事から帰宅すると、玄関に宅配便の不在票がはさまっていた。どうやら、人間の科学社から『ストレス・スパイラル』補強版のゲラが送られてきたらしい。急いで宅配業者に電話をし、今日中の再配達を依頼すると、担当ドライバーが帰宅してしまったという。明日も明後日も二部の講義が入っているし、土曜日は会合があるし…で、仕方がないので営業所まで私が出向くことにした。場所は京浜急行の生麦駅から徒歩10分ほどのところである。雨降る中、慣れない道を歩く。方向を間違えていないかどうか、ランドマークになるものを探す。幸いにして、営業所の「カンガルーマーク」が見えたので、それを目指した。しかし、入り口を間違えたらしく、荷物の振り分け作業中の所に入り込んでしまった。作業中の職員に荷物を引き取りに来た旨を伝えると、「案内します」と窓口まで連れて行ってくれた。作業を見ながら、「なるほど、宅配物はこうやって振り分けられているんだなぁ…」と感心する。
荷物を受け取り、再び生麦駅へ向かったのだが、バス好きの血が騒ぎ始め、久々に横浜市営バスの生麦(車庫)まで歩いて行き、横浜駅西口行きのバスに乗り込んだ。バス車内で荷物を確認すると、『ストレス・スパイラル』補強版は224ページほどにあることが判明した。70ページ近く増えてしまったらしい。今度の『ストレス・スパイラル』は、内容も厚みも、前作を凌ぐ…という感じである。
10月23日(木)
昨夜、『ストレス・スパイラル』補強版の校正を一気にやり終えた。日本大学通信教育部での講義を終えた後、人間の科学社の小幡さんが講師室まで原稿を受け取りに来てくださった。そこで軽い打ち合わせをし、とりあえず来月中に出版する予定…ということで話がまとまった。
その後、神保町方面に出て、法学部の講義前に気分の入れ替えをした。まずは今までに入ったことのない店で食事をしようと思い、ウロウロ歩き回る。ちょっと気になるラーメン屋さんがあったので、思い切って入ってみた。どうも、そこは日大生のたまり場になっているようで、大学の講義の話が(どこぞのお偉いさんのイニシャルトークとは違って担当教員の実名入りで)語られている。出てきたラーメンも期待以上のもので、また来てみようかと思った次第。
気分転換が済み、法学部での2コマを(時間をオーバーしながらも)キチンとこなす。講義中に雨が激しく降ったらしいが、そんなことにも気付かぬほどに、とりあえず講義に入り込んでいた私…。
帰途、「えきねっと」で予約しておいた指定券を、東京駅丸の内北口にあるチケット受け取り機で受領する。そのまま横須賀線に乗り込み、横浜に出た。が、疲れはピークに達しており、横浜で京浜急行に乗り換える際、かなり大きなアクビをしてしまい、それを欧米系のご婦人に見られて笑われてしまった。インターナショナルな恥さらし…?
10月24日(金)
特権階級というのか、「辞めろ!」と言われてもゴネて「解任理由をハッキリさせろ!」などといって抵抗できる人はいいなぁ…。私などは「仕事やらないよ!」などと言われると何の反論も出来ない立場だし、「辞めろ!」と言われても反論さえ出来ない立場にある。大臣さんに反論して法的手段まで講じられる御身分になってみたいものだ。
特権階級というのか、会社にたとえれば「社長」に相当する人に「定年を過ぎているから辞めてください」と言われても、過去の約束を持ち出して終身現役を主張…。「終身」という言葉の定義が曖昧のために起こったゴタゴタだとしても、私などは来年の自分の立場さえわからない。終身現役を主張できる御身分になってみたいものだ。
今週の担当講義がすべて終わった。日本体育大学健志台キャンパスと日本大学法学部をかけ持ちするのは、ちょっとツラく感じられてきた。腰にも負担がかなりかかっている…。貧乏暇なしで、郵便局にも銀行にも、病院にも行くことが出来ない。朝から晩まで家を不在にするので、宅配便も書留も受け取れないし…。早いとこ、こういう生活を脱したいと願う私に「若いうちは、それくらいしなきゃ!?」とおっしゃる方々がいるのだが、もう、腰も悲鳴を上げているし、とても耐えられる状態ではないようだ。主治医たちからも「2〜3ヶ月、仕事を休んでいれば、多少は良くなるかも…」と言われている私の体調…。
10月26日(日)
昨日は、ちょっとだけハードな一日を過ごした。まず起床して(この時点で寝坊!)今井医院へ行き、診察を受けた後に急いで神奈川駅へ向かい、横浜から東海道線と山手線、埼京線を乗り継いで十条へ向かった。
十条到着は12時半。ここで帝京大学の佐藤光宣先生とご一緒させていただき、帝京高等看護学院の水輪祭(学園祭。「みのわさい」と読む)に行ってきた。水輪祭は金曜日から始まり、昨日は最終日で14時終了とのことだったので、出来るだけたくさんのクラスを回ることにした。第一看護科3年生と第二看護科2年生は臨地実習中なので、第一看護科1〜2学年(全8クラス)と第二看護科1年生(1クラス)の全9模擬店に加え、教職員の模擬店が出ていたのだが、そのほとんどが食べ物関連!? 全クラスに付き合うわけにはいかないので、とりあえず佐藤先生と私の担当している学年を優先することにして顔を出した。
そこには、授業中とは違った学生の姿があった。別に、講義中の学生に「ヤル気がない!」と言っているのではない。要するに、私(たち)の知らない学生の顔があった…ということである。その姿に、何となく喜びを感じた。そして、何となくホッとした。第二看護科1年生は駄菓子屋、第一看護科1年Aクラスは豚汁がメイン、Bクラスはアイスクリーム、Cクラスは焼きそば、Dクラスはたこ焼き…と、そのすべてが企画としてありきたりでありながら、内容が優れていた。豚汁は、佐藤先生と共に「んっ? これはスゴイ!」という本格派! 学生に聞くと「和の心を追求しました」ということなのだが、とにかく良かった。アイスクリームはアイデア勝ちの部分があった。若い人たちには人気があったようだ。私もペロリと(トッピング部分まで)食べてしまったが…。Cクラスの焼きそばは、かなり値引きしてもらい、さらに2個ももらってしまったのに、その場で食べられず、持ち帰って今日の昼食にした。冷めていたけれど(当たり前か…)なかなかの味だった。Dクラスのたこ焼きは、周りカリカリで中トロトロという食感…これまた本格派だった。女子学生が多いからと言うこともないのだろうけれど、なかなかの腕前を見せてもらったような気がした。
佐藤先生とは16時前に十条駅前で別行動となり、私は急ぎ横浜に戻った。実は昨日、日本大学通信教育部の後期生学位授与式(卒業式)があり、私の「社会学」を聴講しているすうさんが学位記授与と同時に優等賞を受けることになっていたため、気の合う仲間で祝賀会をしようという企画が盛り上がっていた。その話に私も乗った次第である。17時から横浜で一次会が始まり、そこに7名が参集した。話はアチコチにそれたものの、それはそれで面白かった。ただ、店の中ではかなり「浮いた存在」になっていたかも知れないが…。
一次会が4時間後にお開きとなり、二次会に突入した。定番のカラオケ…。ここでさらに3時間。しかし、アッという間の7時間であった。ほとんどの参加者が終電やタクシーで帰宅する中、私は徒歩で家路に就いた。雨が降るという予報であったが、都合良いほうへハズレてくれた。
それにしても、主婦として、母として、女性として、学生として…という一人何役も演じながら、それでも4年で大学を卒業し、さらに優等賞まで受けたすうさん、ちょっと…どころかかなり素晴らしいことだと思う。ただ、大学を卒業したから学問も終わり…ということではなく、これからもっと自分なりの研究を進めていっていただけたら…と思う次第である。
そして今日、1週間の疲れがドドドォ〜ッと出て、目覚めたのは午後12時半過ぎ。一日の半分以上がフトンの中で終わってしまった…。天気も良いし、外出でもしようかな。昨日、新しい服も買ったことだし。この時期は色々と思うところがあるので、こういう気分転換が必要だ!
10月27日(月)
日本シリーズが終わった。私は阪神タイガースのファンでも福岡ダイエーホークスのファンでもないが、今回の日本シリーズは妙にワクワクした。結局、4勝3敗でダイエーが日本一になったが、私個人としては、阪神に優勝してもらいたかったなぁ…という思いもある。「18年ぶりの日本一」のほうが、何となく日本のプロ野球の活性剤になるような気がしたからだ。他意はない。大リーグ人気に押されっぱなしの日本のプロ野球を、ここで盛り上げるチャンスだったのだが…。でも、この球史に残る大接戦が、いくらかの活性剤になることを期待する。
今日は日本大学国際関係学部の出講日だったが、担当した2コマとも、どこか切ない思いをしたものだ。詳しくはここで記さないが、私の研究ネタが増えてしまったことだけは事実である。
今週末から11月なのに、何となく先の見えない私である…。
10月29日(水)
昨夜、帰宅後もいろいろな(細かな)「業務」をしているうちに疲れがピークに達し、サイトの更新が出来ないまま寝てしまった…。
昨日は一日中雨の降る、寒い一日だった。天気予報によれば、午後には晴れる…ということだったが、見事にはずれてしまったようである。火曜日の日体大勤務は、2コマの講義よりも助手の北野さんと昼食に出かけることのほうが出講目的のようになってしまったような部分があるが、その昼食の時は雨が “かなり” 強く降っていたため全身が濡れ、午後の講義は少々重みを増したスーツを着て行うことになった…。
通常、火曜日は日体大で講義をしたあとは帝京大学福祉保育専門学校に出講することになっているのだが、11月1日に絵画音楽研究発表会を控えているために今週はリハーサル週となり、講義はすべて休講となっている。そのため、昨日は日体大での講義後もしばらく社会科学研究室で雨の勢いが弱まるのを待っていた。しかし、いくら待っても雨は弱まらないので、18時過ぎに研究室を出た。
バス停で等々力行きのバスを待つも、いっこうに来る気配なし。ズボンの裾も冷たくなってきたので、恵比寿駅行きのバスに乗ることにした。終点の恵比寿まで乗って行っても良かったのだが、それだと何時に帰宅できるのかわからなくなるため、途中で降りて、学芸大学駅まで歩いた。この辺りは、大学時代に何度か来たことがあるので、頼りない記憶をつなぎ合わせると何とかなる。
東横線の急行と各停を乗り継いで反町に戻り、駅前のコンビニで買い物をした。お菓子売り場で、懐かしのJポップのCD入りのチョコクッキーを見つけました(ブルボン製)。わかる人にはわかるネタなのだが、私はよく講義内で「南沙織」というかつてのアイドルの話を社会学的に語るのである。その南沙織のデビュー曲「17才」入りのものがあったので、迷うことなく買う。考えてみれば「だ〜れもいない海…」という歌い出しは、今の季節にぴったりである。「誰もいない海」と言えばトワ・エ・モワ。もう、そんな季節になってしまったのか…。
今日は一転、青空のキレイに広がる温かな一日だった。いつものように帝京高等看護学院に出講したが、今日は第一看護科1年生ABクラスで2コマ連続講義。同じ2コマでも、同一クラスを連続でやるというのは結構気を遣うことも多く(学生たちは、そんなことに気付くこともないのだろうが…)、講義終了後は脱力感に苛まれることしきり。
帰途、久々に吉田整形外科で腰部牽引と栄養剤注射を受け、MORE’Sの地下でカキフライ定食を食して帰宅した。子供の頃はカキ(フライ)が好きではなかったのだが、今では大好物の一つ! 週に5回以上食べることもある。それでもなお、この季節はカキ(フライ)を追い求める私である。
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