2003年7月のぼやき
7月3日(木)
先月の更新から作業が滞っていたのには、以下のような訳がある。
6月最後の記述にあった「日本社会学史学会」の件であるが、あの翌日(6月29日)も東北公益文科大学で無事に行われ、私は後輩の毛利君とずっと一緒に仲川先生のお仕事のサポートをさせていただいた。私の気の利かないアシストにもかかわらず、「助かりました」という仲川先生からの温かなお言葉を後日いただき、大変感動した。感動といえば、仲川先生のアシスタントとして参加していた仲川ゼミの学生3名の仕事ぶり、これが素晴らしかった。
すべてのサポートを終えた後、大学前のバス停からリムジンバスで庄内空港を目指した。空港到着後、飛行機好きの私の血が騒ぎ出す。どんなに疲れていても見学用デッキには向かおう、そう決めていた。が、そこは地方空港ゆえのシステムか、デッキに出るのは有料(100円)となっていた、が、そんなことで諦めるわけにはいかない。両肩で2つの重たいバッグを支えつつ、デッキに出て全日空エアバス321び写真を数枚撮影する。
撮影中、香ばしいにおいが漂ってきた。どうやら、背後にレストランがあるらしい。その上、テーブルによっては飛行機を見ながら食事ができる…。お腹の空いてきた私は、迷わずデッキから空港構内に戻り、レストランへ。窓側のテーブルを目指したものの、そこには少し前まで日本社会学史学会に参加されていた錚々たる社会学者の面々が!? あえてその席から離れることにした。そして、飛行機は見えないものの落ち着けそうなテーブルを探して着席したとたん、どこかで聞き覚えのある声&口調が聞こえてきた。「○○でおまっしゃろ、ガハハハ!」…何と、私の右1メートル半ほどの位置に中村玉緒さんを発見したのである! あまりに突然のことに、思わず知り合いに携帯電話から「私の隣に中村玉緒がいます」とメールする。相手から返されてきたメールには「ポスターか何か?」とあった。しかし、それが本人であることを伝えると、記念に写真を撮らせてもらったり握手してもらえば…とメールが来る。私は、仕事を離れて食事中にまで「仕事」をしたいとは思わないし、また、食事中の私のPersonaはあくまでも「客」なのである。そういう点でいえば、玉緒さんも私と同じ「客」である。客と写真を撮ったり握手をするというのは…と考えると、社会構造論の中でも「地位−役割セット」を専門研究してきた私の理論を覆してしまいかねないので、記憶に焼き付けて講義で学生に紹介しようかなという程度でとどめておいた。テレビではひょうきんな玉緒さんがスタッフと真剣に打ち合わせをしていたり、仕事に対する思い入れを真摯に語っていた。社会学的に見て(と、食事中であるのにもかかわらず、分析を始めた私…)、玉緒さんは芸能活動中に「中村玉緒」というPersonaをかぶって「(役割)演技」をしているに過ぎないということである。テレビで拝見する姿しか知らなかった時は、あの姿が「中村玉緒」のすべてだと思い込みがちだが…。同じ飛行機で東京まで戻ることになった。よい思い出が追加された。
パソコン持参に数日分の着替え持参…と、肩には過多な負担がかかっていた(←シャレ)。そのために肩こりが再び甦り、血流障害を引き起こしてしまった。その結果、肩に血が “つまった” 状態になり、激しい頭痛と吐き気に苛まれることになった。月曜日(6月30日)は日本大学国際関係学部出講日であるが、2時限目の「人間と社会T」は休講にさせてもらった。周りは「今日一日、休んでたら?」と言ってくれたが、私はどうしても庄内空港での出来事を学生に語りたくて(というのは理由の一部に過ぎないが…)、3時限目の「社会変動論」はキチンとこなした。以前も述べたかもしれないが、どんなに死にそうなくらい体調が悪かろうと、私は仕事(=講義)をしていると元気になってしまう。Workaholicと人は言うが、本当かもしれない。ただ、責任感(?)と興奮とで血行が良くなっているだけなのかも…?! この日は、静岡県内の知り合いの家で休ませていただいた。
火曜日(7月1日)、知人宅近所の病院に運び込まれる。そこで私の病状(?)が判明した次第。もらった薬で頭痛は緩和され、やっと生きた心地がしたのだが、帝京大学福祉保育専門学校は2コマとも休講にさせてもらった。学生からお見舞い&質問メールが届いていた。嬉しい限りである。
そして今日、万全の体調で日大の松戸歯学部、通信教育部、法学部の講義を何事もなく(??)こなし、このサイトの更新作業に入っているのである。
7月4日(金)
アメリカの独立記念日である。1776年から勘定して、今年で227年…。何だ、そんなもんか!? 「世界のリーダー」だの「世界の中心」だのと偉そうなことをいつも世界に発信しているのだから、アメリカの歴史を錯覚してしまう。たしかに、私が高校の教員をしていた頃、世界史でアメリカ史を教えていた時に、「日本の歴史は2千有余、アメリカの歴史はわずか200年ちょっと…」などと説明したことがあるが…。その辺が国際社会に反映されることはないのだろうか。
一人住い&貧乏暇なしで、宅急便の受け取りもできない。再配達も頼めない。在宅時間を告げても、「時間の約束まではできない」と言われる。すでに1週間以上も業者預かりになっている荷物もある。荷物の中に代金払込書が入っているため、支払いもできない。これはこれで、なかなかストレスのたまる状況である。
今日、日本大学法学部での講義を19時半に終えた後、神保町へ急いだ。最近は忙しくて、書店に行くことさえままならない。書泉グランデはシャッターが閉まっていた。三省堂書店へ向かうと、営業時間が20時までと書かれていた。10分ほど買い物の時間が確保されたが、じっくり選ぶ暇もなく…。八重洲ブックセンターが21時まで営業しているということを知り、急いで御茶ノ水駅へ行き、中央線に乗る。八重洲ブックセンターでは30分ほど買い物の時間が確保できたものの、私の探している文献は在庫切れということだった。
こういう生活を続けて、早や10年目。しかし、つらいものはつらい…。
7月7日(月)
今日は七夕。にもかかわらず、昼前から雨が強く降り始めてきた。梅雨時なのだから仕方がないとはいえ、何となく七夕には晴天を期待してしまうものである。
先週は日本大学国際関係学部の「人間と社会T」を休講してしまったが、今日はキチンと出講し(当たり前か…)、学生たちに休講の理由を説明し、納得してもらった。中には納得できない(というよりも、私の言うことなど聞きたくない)学生もいる。講義前、学生たちに国際関係学部の授業アンケートに答えてもらったのだが、フリーアンサー部分に私への讃辞を書いてくれた学生もいれば、講義方法などの注文(改善点)などを書き加えてくれた学生もいた。これら学生の意見は大いに参考にするべきだと思う。私が良かれと思っていることでも、学生たちにはついてこれないこともあるし、理解に苦しむこともあるだろう。学生の視点で…という信条のある私としては、こういう意見は助かる。しかし、中には許すことのできない記述も見られた。私の服装のセンスを批判する意見、プリントは誰が見てもわかるような内容にしろという意見(要するに、講義を聴いていない者の意見であることがわかってしまう)、そして、
と汚く書かれていたアンケート用紙を目にした私は、情けないやら悲しいやらで、今日一日の労働と誠意をすべて否定されたような心地がした。
私は「仲間意識というものは、愛(思いやり)・和合(足並みをそろえること)・共感性(人にやられたら嫌なことは自分もやらない)の3点セットをもって成立する」と、講義中に何度も何度も説明してきたのだが、まだわからない…いや、わかろうとしない学生がいたことで、何となく自分の実力のほどのなさを思い知った。ある人によれば、「こんなことを書いたのは、おそらく講義中にあなた(=私)から注意を受け、逆恨みしているような、心の狭い学生じゃないか?」ということなのだが、だとしたら余計に問題である。自分の非を認めず、自分のありのままを受け入れなかった者を攻撃するという姿勢は、人間として許されるものではない。
私はアンケート前に、「本当のことを書いてほしい。良い点も悪い点も、それはそれで参考になるから…」と述べたには述べた。しかし、今の学生には相手を傷つけない温かな表現という知識が乏しいらしく、「それを言われて、お前は平然としていられるのか?」と言い返してやりたい衝動に駆られたのも事実。
当該学生本人にしてみれば「言ってやったぜ!」とご満悦なのかしれないが、人を傷つけて自分が満足するという姿勢に、現代人の「自分さえよければ」的発想を垣間見る。
あながち、『ストレス・スパイラル』で述べたことは間違いではなかったのだと、ちょっとした防衛機制をしてホッとする。
夕方、雨が上がり、七夕日和(?)となった。アホな学生のことはしばし忘れて、短冊に願い事でも書きながら夢を見ようかな?
7月11日(金)
昨日で日本大学松戸歯学部の前期「社会学」が終講となり、今日は日本大学法学部「社会学」の前期分が終了した。これからどんどん終講だの休止だのを迎える。しばらくは体を休めたり、買うだけ買って読めなかった本を読んだり…と、有効な時間の使い方を考えたい。
7日(月)でぼやいた件、埼玉県内の公立中学校でスクールカウンセラーをしている友人に話してみたところ、「心ない一言に傷つくのは大人も子供も一緒のはずなのに、最近の生徒や学生たちは、自分たちの傷つきやすさは棚にあげて、大人に暴言を吐きすぎのところがあります」というアドバイスを得た。確かにそういうところが多々ある。ゲマインシャフトというよりもゲゼルシャフト的な人間関係が横行し、「自分(たち)さえ良ければ」という発想が強く見られる。
他の乗客のことにお構いなしで大声でおしゃべりをしている女子高生、階段に座り込んでダベっている若者、ラッシュ時にもかかわらず通路の真ん中で立ち話の若者、後ろの人のことなど気にかけずに携帯電話のメールを打ちながらフラフラ歩いている若者…などなど、若者全員ではないが(むしろ、多数の若者は、常識と節度を保っているように見える)、観察していくと「自分(たち)さえ良ければ」という発想のもとに行動している者を多数見かける。
昨日、こんなことがあった。松戸歯学部から通信教育部への移動中、どこかの高校のソフトボール部の女の子4名と総武線各駅停車の中で遭遇した。彼女たちは全員、金属バットを持っていた。そして、バットが仲間をヒットしないように気遣っていた。しかし、彼女たちが気遣った相手は「仲間」だけであった。周囲の乗客のことなどは考えていなかったようである。私は嫌な予感がした。私の「嫌な予感」というのは、最近よく当たるのである。そして、「嫌な予感」は的中した。水道橋で下車する際、彼女たちも下車したのだが、この時も彼女たちは「仲間」だけに気遣っていたようだった。階段を下りている途中、彼女たちの一人が小銭を落とした。それを拾い上げる時も「仲間」を気遣っていた。が、後ろを歩いていた私のことなどお構いなし。彼女の金属バットは、私の右膝をジャストミート! しかし、当たった角度が良かったのか、それともバットの真芯でとらえたからか、それほど痛くもなかったので、彼女たちの所属高校を聞くこともしなかった。聞いたら聞いたで、新手のナンパか何かと勘違いされてしまい、「何? このオヤジ、変!!」なんて言われていたのかもしれない。通信教育部の講義を終えてから、徐々に右膝に違和感を覚え始め、夜寝る前には痛みが鈍くこもってきた。湿布を貼って就寝したのだが、朝になっても痛みが取れていなかった。ちょうど今日は整形外科に行く予定だったので、ついでに膝の診察も受けてきた。単なる打撲で骨に異常はないとのことだったが、少なくとも2〜3日は痛みと付き合わなくてはならないという。
ところで、ジャストミートの彼女、私の方を振り返る出もなく、私に謝ることもせず、続いていたオシャベリに夢中になっていた…。
しかし、私の門下生の大多数は「愛」「和合」「共感性」を備えた温かな者である…というのが救いかも。
7月20日(日)
実に、9日間もサイト更新をしなかったことになる。その間、関係各方面からいろいろと問い合わせがあり、嬉しいやら困惑するやらであった。
サイト更新のなかった9日間に、私はまた壊れてしまった。医師たちは異口同音に「過労で死んでも知らないよ!」とおっしゃる。そんな中、パソコンのハードディスクが壊れ、データが飛んでしまった。復旧にかなりの時間がかかった。不幸中の幸いか、OS(私のパソコンの場合はWindowsXP)が生きていたので、メールの受信は出来たのだが、返事が送れなかった。
ハードが飛んだパソコンは、サブマシンのノートパソコンであった。メインマシンであるデスクトップに8割ほどのデータが保管されていたので、あまり被害はなかったのだが…パーティションなんかいじるもんじゃないなぁと、何度も同じことをやらかしているのにもかかわらず学習能力のない私であった。
…ということで、ここ数日はほぼ徹夜に近い状態でパソコンの復旧作業(環境を以前と同じような状態に戻す作業)にあたり、その合間に講義に出かけていたようなものだった。今、時刻は6:23である。やっと、復旧作業が終了したので、今から睡眠をとろうと思う次第である。
7月23日(水)
先日、ハードディスクが壊れてデータが飛んでしまった…ということをお伝えしたが、今朝、パーティションをいじった際に利用したソフトのサポート担当者から電話が入り、読み込めなくなったデータの認識方法を教えてもらった。
今日は帝京高等看護学院第二看護科終講日。パソコンと例のハードディスクを持って出講した。何年も教職に就いていても、終講というのは緊張を強いられる。今日も講師室でウロウロ動き回っていた私…。第二看護科の「医療社会学」は、当初の予定から大幅に遅れており、昨夜のうちにプリントを作成しておいたのだが、やはり講義で余計なこと(?)を話しまくり、結局は時間オーバーで終講。第二看護科の皆さん、お疲れ様でした。
講義後、講師室でデータ認識を試みる。ハードディスクを付け替え、サポートで教えてもらった方法を試してみる…すると、以前のようにデータがすべて認識できるようになっていたのである! これで、100%の復旧が実現! もうこのハードディスクはOSを入れて使用することはないので、データをCD-Rにコピーし、再びハードディスクを取り外す。
何はともあれ、これで無事にデータを元に戻すことに成功したが、しかし…サポートがもっと早ければハードディスクを新たに1つ買うことなどなかったものを…と、自分勝手なことを言う私であった。
7月24日(木)
日本大学通信教育部の講義も前期終了。これで、前期の講義はすべて終了したことになる。ただし、まだ日本大学国際関係学部の試験監督が残っているため、まだまだ気が抜けないところである。
通信教育部の講義を終えた後、一旦帰宅し、高校の大先輩であり、私の門下生である方を訪ねるということは、すなわち、カット&パーマである。ここ数ヶ月、自分でも信じられないほど忙しく、ハプニング続きであったため、頭髪にまで気を配る余裕がなかった。先方もお忙しいのだが、こうやって後輩のために時間を作っていただけることは、誠に嬉しいことである。18時前に藤沢駅で出迎えを受け、21時過ぎまでカット&パーマが続いた。そして、久々に頭が軽くなったのである。
話は全く違うのだが、このところ、何だか妙に「当たり前」のことが嬉しく感じるようになった。JR中央線がダイヤ通りに動いていること、タクシー乗り場にタクシーがちゃんと待機してくれていること、パソコンがキチンと作動すること、学生が態度良く講義を聴いてくれること、学生に挨拶されること、朝を健康に迎えられること…。
7月25日(金)
午前中、宅急便が来た。品物を受け取り、部屋で開封する。中からDVDが現れた。タイトルは『猟奇的な彼女』とある。これは韓国で一昨年公開され話題になった映画である。この映画が公開されるまで「猟奇」(ヨプキ)という言葉を韓国では「グロテスク」というような意味合いで使用してきた(これについては日本も同様だと思うが…)。ところが、この映画のヒットで、「猟奇」という言葉が別のニュアンス(日本で言うところの「微妙」にも似た、何となく曖昧でハッキリ表現できないようなさま)を持ち始め、「猟奇」という言葉がある種の流行語となっている。「猟奇」について、ここで詳解したいところなのだが、講義のネタが飛んでしまうとイヤなので…。
午後、久々に中華街の華都飯店に足を運ぶ。来月、帝京大学の佐藤先生をはじめ、共通の門下生との食事会を行うため、その予約を私が担当したのである。久々の訪問であるのにもかかわらず、店のスタッフ(陳一家)が総出で私を歓待してくださった。予約を終えたらすぐに帰ろうと思っていたのだが、お茶をごちそうになり、さらには陳一家の末娘である陳天璽さん(Ph.D)とマイノリティ問題について語り合った。
このところ、いろいろなことがありすぎて大変だったので、静岡に向かうことにした。横浜の喧騒を離れ、ちょっとは静かなところにいれば気持ちも安らぐだろう…と思ったものの、到着してすぐ「大雨洪水警報」発令! 外出も出来ない状態になってしまった。仕方がないので、手元にある答案用紙の採点をすることにした。が、アッという間に終わってしまう。
何となく、今年の私を象徴しているような気がして、心穏やかとは言えない状態…。
7月27日(日)
静岡の続報。今日の私の「ぼやき」を読むと、ほとんどの方が不機嫌(不愉快)になると思われるので、お忙しい方などは後日お読みになられることをおすすめいたします。
昨日は安倍川花火大会を観覧した…というよりも、この花火大会を見たいがために静岡入りしたようなものだった。昨年もこの花火大会を観覧したが、そのスケールの大きさや花火の美しさなど、どれをとっても満足のいくものだった。
静岡の知り合いの、そのまた知り合いに当たる人物(面倒なので、以降は「A氏」と称す)が、花火大会の桟敷席を手配してくれるという話を今月中旬に私の知り合いにしてくれたらしい。ただ、そのA氏がキチンと仕事をしてくれるかどうかは疑わしい…ということを知り合いが言っていた。しかし、桟敷席で花火というのは滅多にない機会だと思い、知り合いと私は桟敷席の手配を依頼した。
そして当日(つまり昨日)、昼過ぎになっても桟敷席の券が届かないことに知り合いと二人、気をもんでいた。新静岡駅で知り合いがA氏に電話を入れると、「何で先に行こうとするんだ? 一緒に行こうと連絡入れておいたじゃないか?!」と、A氏が激怒したという。知り合いも私も、そんな話は聞いていない。知り合いから、「A氏は、誰に何を言ったのか覚えていないところがある」と聞き、かなり不安になった。…というのも、私はA氏なる人物には会ったことがないのである。
天気は小雨…何となく我々の心を表すかのようだった。バスで新静岡駅へ出て、臨時バスに乗り込んで安倍川を目指した。バスに乗り込んだのは16:45。花火大会は19時から。しかし、花火大会となれば交通渋滞はお約束…ということで、早め早めの移動を心掛けた。
会場となる安倍川に到着した我々…時計を見ると17時。A氏からの連絡はない。知り合いがA氏に電話をすると、「橋のたもとで待っていろ」やら「すぐに着くから」という返事ばかりが虚しく返ってきたという。ちなみに、A氏は私の知り合いの妹さんとは一緒に行動してようで、彼女から不定期にA氏情報が入ったのだが、その行動の非常識ぶりというか異常ぶりに、我々は言葉を失ってしまった。A氏は静岡に長年住んでいるのにもかかわらず、よりにもよって「(会場まで)タクシーで行こう!」などと言ってのけ、なかなかタクシーを捕まえることが出来ず、仕方がないのでバスで行くことになったもののバスの乗り方がわからず、はたまた乗り継ぎ方もわからず…で、花火大会開始10分前。まだA氏は現れない。
我々は河原で蚊に食われながらジッと耐えた1時間50分後、A氏に電話を入れてみた。すると「今、バス! 大丈夫、大丈夫! 間に合う、間に合う!」と一方的に言って切ってしまったという。
我々は、A氏との合流をあきらめ、桟敷席とは対岸で花火鑑賞することにした(対岸しか空いている所がなかったので)。大会開始と同時に雨は上がったが、地面はびしょ濡れ。持参した古新聞とピクニックシートが役立った。A氏は…というと、15分以上も遅刻して会場入りした上、私の知り合いの妹さんの困惑も気にせず花火大会を満喫し、その後、その妹さんを深夜まで連れ回したというのである。
私は、A氏と同じ静岡市の空気を吸うことに耐えられなくなり、予定を1日繰り上げて、今日帰宅した。知り合いからは何度も謝罪を受けたのだが、知り合いに謝っていただいても…。知り合いには罪はないし、A氏から直接の謝罪を受けなくては気が済まないのである。
今回は、本当の「ぼやき」になっている…それも、かなり不愉快な…。
7月28日(月)
今朝、熱海駅の線路にカニが落ちていた。正確に言うと、「カニのツメの食べカスが落ちていた」のである。何でカニ? 一体誰が、どうして? 熱海をはじめ、伊豆は漁業がそこそこ盛んなので、カニもそこで引き揚げられたのだろうか?…と、いろいろな思いが錯綜する。
今日は日本大学国際関係学部へ「人間と社会T」の試験監督のためだけに出講する。自分の担当科目の試験を自分で監督するというのは、何となくイヤなものである。目の前で、顔をしかめたりイラついたりしている学生が、私の作成した試験と格闘している…あんまりいい気分にはなれないが、中には余裕綽々で解答している学生もいて、頼もしく思うこともある。履修登録148名中、129名が受験。まずまずの受験率である。まだ採点はしていないが、出来はかなり良いようだ。
試験監督後、日大一高の渡部先生に電話を入れる。渡部先生と私は、日大一高の同期入職である(もっとも、渡部先生は私の大学の先輩に当たるのだが…)。今日は会って食事をしようということになっていたのだが、渡部先生のクラブの高校2年生が進路で決めかねていることがあるということで、予定を一部変更し、私が日大一高を訪ねることになった。三島から新幹線で東京に出て、そこから山手線と総武線を乗り継いで両国へ。そこから徒歩5分ちょっとで日大一高に着く。かつて7年間勤務していたこともあり、懐かしさ(?)もひとしおである。通常なら、外部の者が訪問する際には、受付で氏名や訪問目的などを書かなくてはならないのだが、私の場合は「こんにちは!」と挨拶すると、それで入校許可が出てしまう。7年間、迷惑をかけ続けてきたのにもかかわらず、いつもこの学校は私を温かく迎えてくれる。
渡部先生と久々に会い、例の生徒の進路相談を受け付ける。今年の3月まで「教育相談論」を担当していたこともあり、何となく自分が試されているような感じもしたが、高校生(未来の後輩)のために、ゆっくり時間をかけて話を聞いた。
夕方、渡部先生とかつてお世話になった先生方と、久々の飲み会が開かれた。かつては、こういう機会がいっぱいあって、みんな結構スゴイことになったものだが、時の流れは穏やかに…。楽しい飲み会だった。
かつての職場で、今もこうして仲間として受け入れてもらえることに、この上ない喜びを覚えた。
前回の「ぼやき」とは一転、今日は喜びの多い一日のように思えた。
7月29日(火)
昨夜、就寝したのが遅かったため…といういいわけも虚しいのだが、今日は15時前までフトンの中で過ごしてしまった。フトンから出て、シャワーを浴び、軽く食事をして、久々に吉田整形外科医院で腰部牽引とビタミン注射を受ける。
その後、プライベイト用&講義用ファイルの少ない時用のバッグをアチコチ探し求めるが、適当な大きさがなかったり値段が適当でなかったり…と、かなり難航する。結局、最終的には気に入るものを見つけて帰途につけたのだが、私が今まで購入したバッグの中でも高価なものベスト3に入るような結果になってしまった。が、別に「痛い出費」だとは全く思っていない。必要に迫られてのことだから。
そして、「踊る大捜査線2」のサントラ盤(初回限定CD+DVDパック)の2800円も「「痛い出費」だとは思わない。あの映画(およびドラマ)の音楽は、なかなか優れたものが多い。CDを聴きながら仕事をすると、何となくテンポが良くなるようである。
こういう記述を続けていると、何だか私がいつも遊んでいるように思われがちだが、先日監督した「人間と社会T」の採点は128名分すべて採点済みであるし、今日は今日で関川夏央の『「世界」とはいやなものである」という新刊書を購入し、講義に研究に生かしていこうと思った次第。
よく眠ったから、力がみなぎる!
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