2001年4月のぼやき
4月29日(祝・日)
今朝、起床してから顔を洗おうと洗面所に行き、鏡をのぞいて驚いた。左の頬に10センチほどのうっすらとした傷が1本あったのだ。いつ出来た傷なのだろう? 昨日、特急で熟睡していた時に、子供が切符などの角でいたずらでもしたのだろうか、とにかく驚いた。
用事があって、総武線・横須賀線快速のグリーン車に乗り込んだ時のこと。昨日も若いお母さんと子供に悩まされたが、今日も「親バカ」と呼ぶにふさわしい男女に悩まされた。子供に色々な質問をし、子供が正解するたびに「この子は頭が良い!」「この子の想像力は世界一じゃないのか?」などと、端で聞いている私のほうが恥ずかしくなるような誉め言葉を立て続けに投げかけていた。
子供可愛さというのはわかるのだが、周りに聞こえよがしに褒め称えるのは…?!
4月28日(土)
今日は体調がものすごく悪かった。肩凝りのひどさから頭痛を併発した。しかし、日本大学国際関係学部の講義を休むわけにはいかず、新幹線で三島入り。車中で日本語学の佐藤先生とお会いし、一緒に大学へ。
1時限目の「社会変動論」は、自主GW入り学生の多さか、9名しか教室にいなかった。しかし、このくらいの人数だと、すべての学生に3〜4回ほどの質問ができるので、非常にやりやすい。しかし、2時限目の「人間と社会T」の前に肩凝りのほうが絶不調状態となり、講義入りを少し遅らせた。教室では相変わらず150名以上の学生がひしめき合っていた。そこで、「今日は体調も悪いし、自分も楽しめる講義にしよう!」と気分を一新。その結果、肩凝りはどこかへ吹っ飛んでいった。
昼食を、国際機構論の渡部先生とご一緒させていただき、講師室で文学の藤沢先生とお話させていただく。国際関係学部の良い所は、様々な専門の教員が一同に会することである。
帰途、特急踊り子号に乗り込んで横浜まで出たが、私の座席の前にいた親子のせいで、私の頭痛が復活した。若いお母さん、眠くてむずかる赤ちゃんを寝かさず、赤ちゃんの兄(推定3歳)が赤ちゃんにちょっかいを出し、三島から横浜まで、ずっと赤ちゃんの鳴き声に悩まされた。
寄り道せずに帰宅し、体温を測ると36.8℃。フトンに入り、体を休めた。目が覚めた時、創価大学で非常勤講師をしている旧友の宮川真一さんから久々に連絡が入った。彼とは以前、進学塾の講師を一緒にして知り合ったのだが、元気なようで、GWに一度会おうということになった。
4月27日(金)
今日は帝京大学附属放射線学校1コマ(1時限目)だけ担当の日だったが、かつて勤務していた(3月まで)専門学校の医療系学科の解散コンパがあったため、講義後も池袋で時間をつぶしていた。
その時、携帯電話の調子が悪くなり、さらに、すぐそばにJ−PHONEショップがあったので、機種変更をした。が、それも10分程度で済んでしまう。ちょうど、教え子に手伝ってもらわなければならないことがあったので、出講しているとある看護学校の神林絵理子さんに携帯でメールを送ったところ、情報科学の授業で私のホームページを見たという報告が入った。
時間つぶしのため、池袋から田端・上野方面(外回り)の山手線でグルグル回って新大久保へ。新大久保は韓国系の人が多いので、街中でハングルのシャワーを浴びることが出来る。韓国滞在の日々を思い出しながら、30分ほど歩く。そして新宿区若松町のパブへ。そこが、今日のコンパの会場である。
コンパは16人ほどで行われた。想い出や現況を語り合った。予定では18時から21時までのはずだったが、話が尽きず、23時前まで会話が弾んだ。私は、来生たかおの大ヒット曲「Goodbye Day」を熱唱(?)した。久々のカラオケ…。緊張した。
またこのような集まりをやりたいということで、私の発案でメーリングリストを作ることにした。そこから、BUGにも何名か引きこむつもり。医師もいれば薬品会社のお偉いさんもいるし、SWもいるから、これは面白そう!
帰り、上野に大江戸線で出て、京浜東北線の磯子行きに乗ったところまでは覚えている。しかし、気がついたら磯子。機種変更した携帯電話は、自分の居場所や通過した場所を自動に記録してくれる。見ると、やはり寝過ごしたことに気付く。
磯子から乗った蒲田行きは「本日の上り最終電車です!」というアナウンスと共に入線したのであった!
4月20日(金)
韓国からの帰国日(9日)の翌日から、すでに平成13年度の講義に入っていて、やっと今日、このサイトの更新をするような心地になれた。韓国ではかなりの成果を上げたものの、出講の準備に追われているために、購入した書籍とCDの翻訳(内容確認)もままならず、また、「Yoshibeiの韓国珍道中」のアップも先送りになっていて、時間がいくらあっても足りないような状況である。
今年度の講義は、10日の相模原衛生学院看護専門学校と帝京大学福祉保育専門学校を皮切りに、すでにほとんどの出講先の担当科目が始まっている(日本大学松戸歯学部と帝京高等看護学院はまだ初講を迎えていないが、昨日までに、それ以外の大学・専門学校の講義は始まっている)。
今年は(時間的に余裕のある科目は)初講時に1年間(もしくは半年間)の講義の展開をガイダンスしてみた。日本大学国際関係学部などは「シラバス授業」といって、年度はじめの最初の講義は90分を40分×2コマに分け、同一時間帯に開講されている科目2つまで学生が参加できるようなシステムを採用した(間の10分で、学生は教室を移動する)。こうすれば、4月の極めて早い段階で、いろんな講義を体験でき、履修科目の選択にも幅が出てくるので学生にとっては都合が良いが、私の場合、土曜日の1〜2時限目の講義担当なので、「内容」がいくら良くても(悪くても?)、土曜日にまで大学に来る学生の絶対数が少ないので、同じシラバス授業を2回やっても、あまり意味がなかったようである。
今どきの大学生は、「講義内容」よりも「曜日・時間帯」で履修登録をする傾向が強く、私も出講曜日を土曜日に移されて以来、専門科目は閑古鳥の鳴いている教室での講義となる。ただ、教養科目は(語学の授業との兼ね合いかもしれないが)100名程度の出席があるので、週の最後の講義は盛り上がって終われそうである。
今日は帝京大学附属放射線学校の1時限目のみ出講の日。講義後、講師室で一息ついてから池袋で早めの昼食を取り、大手町に向かった。実は今日まで、全日本切手展2001という郵趣イベントが大手町の逓信総合博物館で開催されていて、昨年に引き続き、私の父が文献部門に応募して入賞(銅賞)したということで、父から招待券をもらっていたこともあり、会場に足を運んだ。偶然、「最終日だから来てみた」という父と会い、会場内の喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら談話。父が「写真を撮ってやる」と言うので、どこの誰だかわからない人の作品の前でパシャリと1枚。
会場で父と別れ、私は疲労感に押しつぶされそうだったので、後の用事を急いですませ、帰宅した。
4月2日(月)〜4月10(火)のぼやきは、下記のサイトでどうぞ!
4月1日(日)
今日から4月。昨日の厳しい寒さを忘れさせるような暖かな一日だった。家にいるのがもったいないので、わざわざ用事を作って外に出ることにした。行った先は横浜のビックカメラ。家から10分程度で到着してしまったが、韓国で使用する(かもしれない)コンセントのアダプタ(プラグ)を購入した。コンセントにはA・B・BF・C・Oなど、いろいろなタイプがあるのだが、Oタイプは持っていなかったため、(韓国でもOタイプは使用されているので)念のための購入となった。そして、ついでにASA800のフィルムを5巻購入して帰宅した。
そういえば、ウチのすぐそばに、横浜の穴場的な桜の名所の公園があるのだが、雑誌やその他のメディアで紹介されてしまったために、いつもは静かな住宅街が、この時期だけは喧騒がすごい。飲めや騒げや…で、宴の後はゴミの山。ヨッパライが駅までの道々を千鳥足で歩くために、車や自転車が迷惑する。かわいい女の子がひやかされる。迷惑きわまりない!
しかし、何で「花見」というのは桜だけが対象となっているのだろう? 花は四季折々のものがあり、それぞれが美しさ(かぐわしさ)を競っているはずなのに…。日本の心は桜ということなのだろう。
5日からの韓国渡航にはパソコンを持って行かないので、メモ書きをして、韓国紀行をこのホームページでアップしたいと考えているので、乞うご期待! 韓国は5年ぶり。しばらく韓国語を使っていないので、昨日、久し振りに韓国で購入した書物を読んでみた。読めることは読めるのだが、単語を忘れているような…?!
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